TRAVELER'S JOURNAL

世界一周経験者による、本・旅・アートの記録

【BOOK】星を見た人生 ⑵ ー生がぎらりと光るとき

わたしが『ねずみ女房』という絵本で一番美しいと思うのは、めすねずみが「星を見た」場面です。
この瞬間のことを何と形容していいのか、自分ではうまい表現が浮かびません。

しかし、茨木のり子の詩に、まさにこの瞬間を言い表している言葉を見つけました。

《世界に別れを告げる日に
ひとは一生をふりかえって
じぶんが本当に生きた日が
あまりにすくなかったことに驚くだろう

……中略……

〈本当に生きた日〉は人によって
たしかに違う
ぎらりと光るダイヤのような日は
銃殺の朝であったり
アトリエの夜であったり
果樹園のまひるであったり
未明のスクラムであったりするのだ》
(「ぎらりと光るダイヤのような日」より)

めすねずみが「星を見た」瞬間とは、まさに「本当に生きた」と感じられるような、「ぎらりと光」り輝く一瞬だったと思うのです。

* * *

さて、⑴の冒頭にあげた不倫問題について触れましょう。

不思議の国のアリス』をはじめ多くの絵本や児童文学を翻訳している、作家で翻訳家の矢川澄子は、『わたしのメルヘン散歩』という本のなかで、『ねずみ女房』についてこう述べています。

《これはもう堂々たる姦通讃歌ではありませんか。》
《ひょっとするとこれは、どんなポルノ番組やH漫画よりもはるかに深甚な影響力をもつ破壊的文書かもしれません……》

わたしも『ねずみ女房』は、良き妻良き母という、日本の家庭で長らく女性に求められ押し付けられてきた道徳規範に一石を投じる本だと思います。

めすねずみは恋をしている。
ただし、はとに対してではなく、自分を囲いこんでいる生活の、その外の世界へ恋情に見えます。

まあ、この本でめすねずみははとにキスされており、相手方からの不意打ちとはいえ、

えっと「一線」こえちゃった?

という状況なんですが。
チューがセーフかどうかについては、渦中の議員にでもきいてみたいところです。

いずれにせよ、めすねずみははとという夫以外の異性にではなく、はとを通してみた「窓の外の世界」に、胸が締めつけられるような憧れを抱いたのでしょう。

矢川澄子は『ねずみ女房』を、不倫の本だと糾弾したいわけではもちろんありません。
考察はこう結ばれています。

《遠くを見つめる目をもつものともたないもの。
何かを知ってしまったひととしらないひと。
……ゴッデンのいちばん描きたかったものは、この奥さんの知恵の悲しみ、強者の孤独みたいなものかもしれませんね。
奥さん(注:めすねずみのこと)の思いを知るひとは、奥さんのほかにはだれもいないのです》

「星を見た」という、その後の人生にまで沁みとおる強烈な体験が、ほかの人間(というかねずみ)には理解されない「孤独」といわれると、うーん、たしかにそうかもと思いました。
「〈本当に生きた日〉は人によって たしかに違う」のですから。

* * *

めすねずみは「星を見た」あと巣に戻りましたが、反対に、「星を見る」ために家を出る女性が描かれている作品もあります。
ノラという女性を、次に紹介したいと思います。

(⑶につづく)

f:id:traveler-nao:20171009092117j:plain
ニューヨーク近代美術館フリーダ・カーロの自画像。この人もいろんな殻を突き破って、星を希求したんだろうなあと思う)

にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村