TRAVELER'S JOURNAL

世界一周経験者による、本・旅・アートの記録

【BOOK】ベトナムに死す ⑵ ーあるベトナム人女性の日記

今日、昨年の夏ベトナムを訪れた際に買った本を読み終わりました。

『Last Night I Dreamed of Peace』

これは、ゲリラ兵の看護に当たっていた20代半ばのベトナム人女性の日記です。

《So many people volunteered to sacrifice their whole lives for two words: Independence and Liberty.》

彼女も、独立と自由と平和のために身を捧げた一人でした。

野戦病院が壊され、重い物資を持って移動する。
北ベトナムにいる家族を懐かしむ。
兵士たちの死を見つめる。
愛する人たちが囚われる。

そんな「日常」の生々しい記述が続きます。

爆弾によって焼かれた若い兵士を見たときは、煙が身体から立ちのぼり、オーブンでローストされたようだったと書いています。
彼が20歳のハンサムで明るい青年だったということなど、もはや誰もわからない。
そんな場面も、数多の悲惨の一例でしかありません。

この日記を書いた女性も、1970年、日記の最後の日付から数日後に殺されました。
読み終わったときには、わたしの携帯内蔵の辞書の履歴は、復讐、痛み、悲しみ、そんな単語でいっぱいになりました。

* * *

わたしがベトナムに思い入れを深くしつつあるのは、実際にベトナムを訪れ、またその後上記のような本を読んで、その戦禍のあまりの酷さや、国際政治の理不尽さを知ったからです。
教科書の年表の一行でしかなかった「ベトナム戦争」は、もはや無視できない大きな意味を持ち始めました。

しかし一方、わたしがベトナムに寄せる関心には、別の理由もあるのだろうと自覚しています。

沢田教一は《安全への逃避》という写真で写真報道における権威・ピュリッツァー賞をとったあと、こう言って戦地ベトナムでシャッターを押し続けたそうです。

《もう一度ピュリッツァー賞を取るんだ。ぜひとも欲しい。》

また、スペイン内戦で同賞を得ているロバート・キャパも、インドシナに赴くとき、「これはおそらく最後の面白い戦争さ!」と言っていた。

カメラマン石川文洋は、沢田教一展によせた文章の中で、「ベトナム戦争はジャーナリストが自由に取材できた最初で最期の戦争」と述べていますが、そういう意味でベトナム戦争は特別だったのでしょう。

向かう先が死のリスクのある戦場であるにもかかわらず、彼らが功名心や冒険心を持ち合わせていたということを、わたしは理解できる気がします。

正直に言うと、沢田教一、近藤紘一、開高健石川文洋日野啓三本多勝一ロバート・キャパ、そうした現地で生活しながら取材したり、従軍して戦争を体験したりして、自分の考えを持つに至った人たちが、まぶしく思える。
リスクとそれに見合う意義のある場に身を投じた人たちが、羨ましい……。

わたしは現代日本において自力で見つけられない青春を、自分が生まれる前の戦争に嗅ぎつけ、そんな安易な理由でベトナムに傾倒しつつあるのでしょう。
自分には命をかけて何かを追求する勇気は、この先も多分出てこないだろうと思うからこそ、余計に憧れがつのるのかもしれません。

でもしばらくは、ベトナムの本を読んでみます。
気がすむまで、読んで、考えて、何かの手がかりにしたいと思います。


【展覧会データ】
写真家 沢田教一展ーその視線の先に
日本橋髙島屋 〜2017年8月28日
主催: 朝日新聞社

【参考・関連書籍】
青木冨貴子『ライカでグッドバイ』(ちくま文庫、2013年)
Dang Thuy Tram『Last Night I Dreamed of Peace』(RIDERBOOKS、2007年)


【リンク】
ホーチミンでクチトンネルや大統領官邸など、ベトナム関連施設を訪れたときの話はこちら→ベトナム観光記  その3(TRAVEL NOTE)
戦争証跡博物館については、衝撃をどう受け止めていいかわからず、昨年の時点でブログには書けなかった。

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(わたしのインドシナ本の一部。枯葉剤に焦点を当てた中村梧郎『母は枯葉剤を浴びた』と、サイゴン市民の生活に密着した近藤紘一の一連の著作からは、特に多くのことを教えられた)

 

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【PHOTO】ベトナムに死す ⑴ ー戦場カメラマン・沢田教一展

昨年の7月、日差しが照りつける真夏のベトナムを訪れました。

ラオスからバスでハノイに入り、フエ、ホイアン、ニャチャン、ホーチミン市とひたすら南下。
そのあとカンボジアに抜けました。

王宮都市フエで思い出すのは、王宮近くの屋台で定食をうまいうまいと食った直後に腹が下り、営業しているのかわからない店舗のトイレに駆け込んで格闘していると、急に清掃が始まって床が水浸しになり、バッグが水没したということで、今となってもいい思い出ではありません。
ぜーったい、あの定食が元凶だ。

そのフエの、約50年前の写真を先日見ました。
それはわたしが見たフエとは違った。
市街戦で城壁越しに銃をかまえる兵士たち……。

ベトナム戦争で従軍取材した、沢田教一の写真展にあった一枚です。

* * *

沢田教一青森県出身のカメラマン。
貧しい家庭に生まれましたが、12歳のとき、新聞配達で稼いだ金で初めてカメラを買ったそうです。
そして19歳のとき三沢基地内の写真店で働きはじめ、そこで11歳年上のサタと出会い、20歳で結婚しました。

沢田教一にとって、この妻・サタの存在は大きい。
「カメラマンである以上、現場に行ってシャッターを切るしかない」と言う沢田に、サタは「私も一緒ならいい」と言って、ともにベトナムにわたりました。

そうして撮られた数々の写真は、ベトナムの解放軍兵士、米軍、戦時下の双方の姿を、ときにはあたたかい視線で、ときには残酷な現実を真っ向からとらえていました。

前提として、この戦争はベトナムで行われているということを忘れてはいけない。
つまり、ふつうの住民が兵士となって武器をとり、女性がレイプされ、老人子どもが殺され、国土を枯木の森にされたのは、ベトナム側だけなのです。

しかし、あれだけの野蛮な殺戮をした米軍も、兵士たち個人はやはり人間なのだと感じます。
仲間に人工呼吸したり、死んだ仲間を運んだりする米兵の写真を見ると、そう思う。

装甲車にひきずられるベトナム人兵士の死体を撮った《泥まみれの死》。
一方の悲惨が一方の戦果。やりきれません。

ベトナムでの写真でピュリッツァー賞を受賞し名を上げた沢田は、「平和になったら、ベトナムを北から南までゆっくり撮影旅行したいな。ベトナム人の笑顔って最高なんだよ」と言いつつ、場所を移して撮影を続けます。

北ベトナムへの補給路をめぐって争奪戦が行われ、無政府状態にあったカンボジア
沢田はプノンペンから30数キロ先の国道で、何者かに襲われ死んだ。
34歳でした。

* * *

妻・サタは昨年夏にベトナムを再訪し、ホーチミン市戦争証跡博物館を訪れたそうです。
わたしも同じ頃博物館に行きましたので、ひょっとするとサタさんと、どこかですれ違っているのかもしれません。

発展の最中にある今のベトナムの下にある犠牲を、わたしは1年前、さほど意識していなかった。
あのエネルギーあふれる灼けつく土地が、いかに多くの血を吸い込んでいたことか……。

今後ベトナムを訪れるときには、きっと写真で見た50年前のベトナムを思い出してしまう。
もうわたしには、ベトナムという土地で、素直な観光はできないような気がします。

(⑵につづく。暗いけどつづける)

 

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(上部に大きく載っているのが《安全への逃避》。米軍の爆撃で村を追われた家族は、「安全」な場所を求め、命がけで川を渡らねばならなかった)

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【ART】郵便配達人との再会 ⑵ ー欲望のコレクション

アメリカのボストン美術館は、主に個人の寄贈や寄付によってコレクションの拡充を続けているそうです。

上野のボストン美術館展は、日本美術を集めたアーネスト・フェロノサをはじめ、数々のコレクターの紹介がなされているのが大きな特徴といえましょう。
寄贈者にここまで注目した展覧会というのは、わたしはこれまで見たことがありません。

* * *

三菱一号館美術館館長・高橋明也による新書『美術館の舞台裏』には、以下のようなアメリカの美術館事情が書かれています。

《実はアメリカの館長にとって、女性に好感をもたれる魅力があるかどうかは大袈裟ではなく死活問題につながります。
女性のなかでも、富裕層の未亡人の心を掴むことが必須です。》

というのは、アメリカの美術館は寄付と富裕層のコレクターからの寄贈に頼って発展してきたため、実質的にコレクションの所有権を持っていたり、夫亡き後莫大な遺産を相続したりした女性たちは、大きなスポンサーだからだそう。

《マダムキラーであること。
それがアメリカの館長、スターキュレーターに課せられた、ある意味ミッションでもあります。》

日本で館長というと裏方なイメージですが、欧米では事情が異なるようです。
フランスでも、「国立の美術館の館長が変わればその人事がすぐに世間の話題に上」るほどだとか。

そうと知っていたら世界一周中、もっと館長に注目してミュージアムめぐりをしたんですけど。
マダムキラーがどんな人か、見てみたかった。

さて、わたしがアメリカで「郵便配達人」ことルーランとその夫人を見たのは、フィラデルフィアのバーンズ・コレクション、ニューヨークのメトロポリタン美術館、近代美術館でした。
メトロポリタンも近代美術館も、もちろんケタ違いの広さと質に圧倒されましたが、いちばん印象深いのは、フランス近代絵画を集めたバーンズ・コレクションです。

個人コレクターによる美術館は、旅行中2箇所訪れました。
上記のバーンズ・コレクション、そして、ワシントンのフィリップス・コレクション。

どちらも美術館より親密な空間に、美術館より自由な発想で並べられていました。
そして鑑賞していると、コレクションというものは、本質的には欲望につき動かされてなされる行為なのだと実感させられました。

* * *

ワシントンのフィリップス・コレクションでは、目玉作品ともいえるルノワールの《舟遊びの昼食》をじっくり鑑賞しました。
ふんわりしたタッチで、人々が食べたり飲んだり話したりしている様子が描かれている。

ルノワールの作品は欧米の様々な美術館で見ましたが、ここまで見ていて楽しい気分になった作品はありません。
作品の前のベンチにぼーっとすわって眺めているときの幸福感といったら、もう……。
おそらく、ワシントンの住宅地の邸宅にフッと飾られていることで、スケールの大きい美術館で見るよりもずっと、登場人物の息遣いを感じられたのだと思います。

一方フィラデルフィアのバーンズ・コレクションは、邸宅改装型のフィリップス・コレクションと違って、ジーパンで入るのが恥ずかしいほどセレブリティで規模も大きい。
そして最初の展示室に入った瞬間、目を疑いました。

セザンヌルノワール、ドガ、マティス……ぎっしり、天井までぎっしり並べられている、無数の絵。
年代や作者を意識して作品を配置する、通常の美術館とは明らかに異なります。

あのときの興奮を、文字にすることは到底できません。
しかしどの程度の感動か、もののたとえで言い換えてみますと、「合コンに行ったら福山雅治ディーン・フジオカとトヨエツがいた」に匹敵するくらいよだれがでそうな感じ。

巨匠たちによる名品が、大作も小品も壁一面に配置され、世界一贅沢な部屋と言ってもけっして過言ではない。
そのうえ、1階、2階とそんな部屋が続いているものですから、見ているこっちは「福山とディーンとトヨエツの3人から次々にお持ち帰りの申し出があった」くらいのドキドキの連続。

ほんと、そのくらいすごい。ウソだと思うなら行ってみてください。

* * *

日本の話に戻りますが、ちょっと前に、ある女性タレントが大金持ちの実業家と破局したと、ワイドショーで見ました。
なんと、その実業家は3000億円以上の資産を持っているそうです。

破局はさておき、3000億円なんて一生旅しても使い切れない額。
わたしならそのカネをどう使うかと考えると、結論、絵画のコレクション。
そして美術館を作る。

現実的には売りに出されることはないでしょうけれど、もしカネにものを言わせて好きな絵を買えるなら、何をどう集めたいだろう。
もちろんシロウトの夢想にすぎませんが、並べてみたい組み合わせというのは、あります。

たとえばスイスの抽象画家クレーの淡い色の作品と、アメリカの写実主義の画家アンドリュー・ワイエスの描く風景なんかを同じ部屋に展示したら、抽象と現実を行き来しつつもなんとも心休まる空間になりそうです。
また、ジャコメッティの細長い人間の像と、ゴヤあたりが描いたでっぷり肥えたスペイン貴族の肖像画を並べてみたら、人間の本来の姿とは何か、なんて考えさせられそう。

そんなわけで、使い切れない資産をお持ちのあなた、ぜひともNAO MUSEUMへご出資ください。
みなさまからの寄付と寄贈も、お待ちしております!

 

【展覧会データ】
ボストン美術館の至宝展ー東西の名品、珠玉のコレクション
東京都美術館 〜2017年10月9日
主催: 東京都美術館朝日新聞社ほか

【参考・関連書籍】
嘉門安雄『ゴッホロートレック』(朝日選書、1986年)
高橋明也『美術館の舞台裏』(ちくま新書、2015年)
朝日新聞 記念号外「ボストン美術館の至宝展」

 

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(フィリップス・コレクション、ルノワール《舟遊びの昼食》; 見よ、これぞルノワールの真髄!  同時代の画家カイユボットや、ルノワールの妻も描かれている) 

 

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