TRAVELER'S JOURNAL

世界一周経験者による、本・旅・アートの記録

【BOOK】豊かさとは何か? ⑵ ー「働き方」への疑問

「働き方改革」が提唱されている昨今ですが、わたしは「働き方」よりも会社の「働かせ方」こそ、抜本的に改革すべきだと思っています。
人は増えず・ノルマは減らずで「残業しないで帰ってね」などと言われたら、忖度が暗黙の雇用条件だと知る日本人は、退勤打刻後も残るか持ち帰るか、ってなことになるでしょう。

労働者が主体的に「働き方」を選べるように、日本の企業文化そのものを改革しないと意味がない。
秋の国会で、わあ素敵な法案! と思えるような方向転換が起こればいいんですけど。

『豊かさとは何か』(岩波新書)という本には、こう書かれています。

《労働は、そして労働が作りあげるものは、それもまた、人間の豊かさを支える重要なひとつの柱である。
しかし、それが病的な働き方であったり、生産過程や生産の結果が、利潤は生むが、人間社会の福祉を破壊したり、自然を破壊したりするものであると、人間は、その中に満足を見出すことができない。
……
だから、形としてだけ労働時間が短縮されれば、それですべてが片づくとはいえない。》

この本の著者は1928年生まれの経済学者、暉峻淑子(てるおかいつこ)です。
同書では「豊かさに憧れた日本は、豊かさへの道を踏みまちがえた」その経緯について、滞在経験のある西ドイツとの比較を通じ、労働・教育・社会制度などの面から考察しています。

《立ちどまることを許さないほどに加速化した日常生活を、豊かさとかんちがいしているのではないだろうか。》

その疑問を掘り下げていくわけです。

* * *

著者は日本の労働者の現状をこう表現しています。

《日本の社会では、まわりによく思われたいための自己犠牲や自己顕示が、犠牲的精神として評価される。
そのため、本当の自分の欲求に直面するのをさけて、働き蜂を誇りに思うナルシシズムの人はあとを断たない。
そんな人に限って、本当に社会のために、地球市民として、報いを求めない行動をとらねばならぬときになると、冷淡になる。》

日本の労働者はこんなふうになって、データから分析すると「残業が10時間をこえると育児と子どもとの遊びがなくなり、20時間をこえると趣味や読書の時間がなくなり、50時間をこえると『夫婦の会話』もなくな」るとしている。
日本のサービス早朝・深夜業務や長時間通勤を思えば、ある程度実感がもてる数字です。

もちろん著者は、労働者個人の責任を問いたいわけではありません。
そんな状況を作り出してきた戦後日本の政策を概観したうえで、「社会保障と社会資本の充実こそは、豊かさにとって不可欠」であり、「経済活動に役立つ人間だけでなく、社会の豊かさにかかわる人びとの、待遇の改善が必要」と述べています。
高齢者や障害者のケアにたずさわる福祉職の給与は「商社マンにくらべれば、雲泥の差」と指摘することも忘れていません。

終章で著者はこう述べます。

《個性や自由の名の下に、結局、画一的モノサシで競争の勝ち負けがきめられ、結局は強者の支配の下に画一化されて服従してしまうことは、豊かで創造的な自由とはちがっている。》

* * *

この本が出版されたのは1989年。もうすぐ発刊から30年です。
わたしが古本で買った2006年増刷時のもので56刷目ですので、今ではさらに版を重ねているでしょう。

著者が住んでいた西ドイツは東西統一ドイツとなり、日本には介護保険が導入された。
そうした変化はあるものの、この本の核となる主張は、まったく古びていません。
もう役目を終えていなくてはならない本が、現代の話として読めることにゾッとします。

本書のおかげで、旅で抱いた「なぜ日本は経済大国なのに豊かじゃないと感じるのか」という問いを考えるヒントは得られましたが、新たな問いが生まれてきました。

なぜ日本は変わらないのか?
変わるチャンスはなかったのだろうか?

* * *

今年、建設に携わる若い人が自ら死を選んだと、ニュースで見ました。
いえ、過重な労働によって追いつめられた精神には、きっと他の選択肢などなかったことでしょう。
その人はスポーツの「祭典」をやるための競技場をつくっていたそうです。
わたしはこの国の貧しさに怒りを感じる。

(⑶につづく)

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パタゴニアの野外博物館に咲く小花。道端の花に気づける程度のゆとりは、日々の生活に必要だと思う)

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